めざせ日本語教師~オンライン日本語Tutorのよもやま日記~

普段は派遣の会社員、副業でオンライン(italki, プライベート)の日本語のセンセイをしています。NAFL修了しました。

<その42>開始 15:社会言語学(NAFL)

先日からやっと7冊目、15:社会言語学に突入!

 

もし機会があればかじってみたいなあと思うのがこの分野です。

 

日本に住む外国人の人たちと話していて思うのが

彼らのコミュニティでは日本人が国語として話す日本語とは違う

「共通語としての日本語」があるということです。

 

以前に知り合いが「外国人労働者が増える未来の日本では

英語が共通語として話されるようになるよ」と言っていました。

 

率直な意見として、私はそうは思いません。

外国人が増える≒英語化が進む、ではないと思います。

 

現に日本では、日本人と外国人が話すための日本語ではなく

外国人同士が話すための共通語として日本語が使われています。 

その現場を見ると、ちょっと不思議な気もしますが

互いがもっともコミュニケーションを取りやすい言語が

日本語であれば、当然そうなるわけです。

 

私にも経験があります。

昔ペルーを旅行した際、私がペルー人のツアーガイドさんと

お互いカタコト英語で会話していると、怪訝そうな顔をした

アメリカ人旅行者が声をかけてきて言いました。

 

「なんでスペイン語か日本語で話さないの?」

 

わたしたちは「んなことできませんがな!」と

さも当たり前のように返事をしました。

ですが、そのアメリカ人旅行者には私達が共通語としての

英語でしゃべっているということは理解しにくかったかも

しれません。

 

今、オンラインのレッスンをしていて思うのが

この「共通語としての日本語」です。

 

はっきりと言われるわけではないのですが

すでに日本に住んでいて就労や生活のために日本語を

勉強したい人たちの多くから同じようなことを要望されます。

言い方は違えど、要約すれば「共通語としての日本語」を

教えて欲しいということではないかと思います。

 

日本人とだけではなく、外国人同士でも使う日本語。

 

奥の細道」のような文学を心から理解するための日本語ではない、

日本人に違和感を与えない日本語が目標ではない、という感じです。

 

知識も考えも未熟なため、乱文で申し訳ありません。

ちょっと思ったことを書いてみました。

 

読んでいただきありがとうございました。