先日からやっと7冊目、15:社会言語学に突入!
もし機会があればかじってみたいなあと思うのがこの分野です。
日本に住む外国人の人たちと話していて思うのが
彼らのコミュニティでは日本人が国語として話す日本語とは違う
「共通語としての日本語」があるということです。
以前に知り合いが「外国人労働者が増える未来の日本では
英語が共通語として話されるようになるよ」と言っていました。
率直な意見として、私はそうは思いません。
外国人が増える≒英語化が進む、ではないと思います。
現に日本では、日本人と外国人が話すための日本語ではなく
外国人同士が話すための共通語として日本語が使われています。
その現場を見ると、ちょっと不思議な気もしますが
互いがもっともコミュニケーションを取りやすい言語が
日本語であれば、当然そうなるわけです。
私にも経験があります。
昔ペルーを旅行した際、私がペルー人のツアーガイドさんと
お互いカタコト英語で会話していると、怪訝そうな顔をした
アメリカ人旅行者が声をかけてきて言いました。
「なんでスペイン語か日本語で話さないの?」
わたしたちは「んなことできませんがな!」と
さも当たり前のように返事をしました。
ですが、そのアメリカ人旅行者には私達が共通語としての
英語でしゃべっているということは理解しにくかったかも
しれません。
今、オンラインのレッスンをしていて思うのが
この「共通語としての日本語」です。
はっきりと言われるわけではないのですが
すでに日本に住んでいて就労や生活のために日本語を
勉強したい人たちの多くから同じようなことを要望されます。
言い方は違えど、要約すれば「共通語としての日本語」を
教えて欲しいということではないかと思います。
日本人とだけではなく、外国人同士でも使う日本語。
「奥の細道」のような文学を心から理解するための日本語ではない、
日本人に違和感を与えない日本語が目標ではない、という感じです。
知識も考えも未熟なため、乱文で申し訳ありません。
ちょっと思ったことを書いてみました。
読んでいただきありがとうございました。