めざせ日本語教師~オンライン日本語Tutorのよもやま日記~

普段は派遣の会社員、副業でオンライン(italki, プライベート)の日本語のセンセイをしています。NAFL修了しました。

〈その169〉日本語は言文一致体じゃない~コモリくんと日本語

 先日、図書館でとある本を借りてきました。地下書庫で眠っていたやつなので、司書さんがとってきてくれました。本の名前は「小森陽一、ニホン語に出会う」です。今は、「コモリくん、ニホン語に出会う」というタイトルで出版されていると思います。昔読んだことがあったのですが、思うところがあって、図書館でもう一度借りてきました。ありがとう図書館!

 この話は、「コモリくん」という日本人の少年が幼少期の一部を外国で過ごし、また日本に戻ってきて成長していく過程の、特に語学の面に焦点を当てています。こどもが複数言語の環境で育つことや教育言語の影響、こどもであるコモリくんがうけたショックについて詳細に書かれています。そしてこのコモリくんの物語は著者である小森陽一氏の幼少期であり、自伝ともいえます。

 この中でとても興味深い経験が書かれています(コモリくんにとっては不幸な出来事ですが)。外国暮らしの間も錆びることのないよう頑張って勉強を続けた日本語で同級生に話しかけるとみんなクスクス笑っています。そしてある日、我慢できなくなったコモリくんが友達に叫びます。「ミナサンハ、イッタイ、ナニガ オカシイノデショウカ?」すると皆大笑い。

  これ、実はコモリくんに限らず、日本語学習者あるあるで、「教科書に書かれている例文や、ニュースのアナウンサーのような日本語を覚えたけど、実際には日本人はだれもこんな話し方してない!」(特にコモリくんの場合は、日本語の母語話者でありながら、この話し方だったわけですから、相当大変だったことが想像されます。)

 昔は文語体といって、話す言葉と書く言葉は全く違いました。それがあまりに乖離したため、両者を近づけようと口語体ができました。ですので論としては、近代日本語は話す言葉と書く言葉が(だいたい)同じはずなんですが、実際にはかなり違います。

 最近日本にお住まいの生徒さんのレッスンがちょっと増えました。また、今はコロナ禍でほぼなくなりましたが、以前は時々ボランティアで子供を含む外国人の方向けの日本語レッスンをしていました。その時に学習者の壁となる(なった)のが、この「コモリくん」の身に起きたこと同じことでした。

「レッスンで学んだことを話したら笑われた、バカにされた」という経験は生徒さんのやる気を大きく削ぎます。かといって、こちらも砕けた言い方(これも程度が難しい)を最初っから教えるのもためらわれることがあります。

 折衷案として、ご希望の方には、ときどきレッスンの合間でタメ口レッスンタイムを設けることがあります。「タメ口の練習」です。大体10分くらいですが、テーマを決めて話したり、ロールプレイングをします。レッスンなので、良くない表現があれば説明もします。

 生徒さんが皆タメ口会話が苦手かといったら、そうではありません。中には最初っからびっくりするくらいタメ口表現が上手い人がいます。練習の賜物か、天性のものかはわかりませんが、JLPTを受けたら壊滅的な結果になりそうなのに、タメ口会話はこっちの調子が狂うくらいうまくてびっくりする人もいます。私が思うに、標準語での教科書的な会話に比べて、タメ口での会話は語彙もさることばがら、リズム感が必要なことが原因かと思います。日本人ぽい会話のリズム感や短いフレーズをうまく繰り出せるか、それをつかめるかという部分では、音楽にも通じる部分があるのかな?例えば、私がどんなにがんばっても、ラップ音楽にうまく言葉がのりません。私が久保田利伸さんのヒット曲「LALALA LOVE SONG」をカラオケで歌うと、昭和の歌謡曲に変身します(/_;) 私はラップのリズム感を全くつかめないからかと思います。

 ちょっと話がそれましたが、文字で書いてある言葉を知ることは大事ですが、それを実際に会話に使うようになると、日本語学習者のみなさんには大きな壁があることになんとなく気がついたのは、日本語チューターを初めてしばらくたった頃でした。それまで私の頭にあったのは「日本語を教える=正しい日本語を教える=NHKのニュースアナウンサー的な日本語」でした。実際周りの友達にも「正しい日本語を教えなくっちゃね!」とハッパをかけられました。でも実際に始めると、人によって習いたい日本語、苦労している日本語はそれぞれ異なりました。私は日本生まれの日本育ちですから、日本語を外国語として学習したり失敗した経験は当然ありませんでした。本を通して、外国語としての日本語を経験したひとの苦労を知ることは、私が気づいていない生徒さんの苦労を仮体験することができ、勉强になります。