めざせ日本語教師~オンライン日本語Tutorのよもやま日記~

普段は派遣の会社員、副業でオンライン(italki, プライベート)の日本語のセンセイをしています。NAFL修了しました。

〈その626〉中級レベル新規生徒さんの教え方について(考察)

”既に中級レベルになっている生徒さんが新規できた場合に、困っていることがあります。それは、初級の部分を自分で勉強したor先生があまり直してくれなかったため、間違えたまま癖がついてしまっていることがあります。指摘しても、なかなか直りません。 こんな時、どのように教えたら良いと思いますか?きんぎょさんは、完璧な日本語を目指して教えていますか?”

 

りさ様、コメントで質問をありがとうございます!書きたいことがたくさんあったので、記事にしてみました。(ショボショボ先生きんぎょの意見で恐縮です。)

レッスンを始めやすく止めやすい、オンラインで日本語を教える立場での意見です。

 

【完璧な日本語を目指すか?】

きんぎょの場合は生徒さんの目指すゴールへの伴走が主な目的で、生徒さんの伝えたいことが、伝えたい方法で、ちゃんと伝わる日本語を目指します。完璧な日本語は目指しません。完璧な日本語は、先生ではなく、生徒さんが自主的に目指してくれるといいなと思ってます。

きんぎょが目指さない主な理由は、レッスンのタイプが合わないことです。完璧な日本語を目指す!となると、ある程度拘束力のある強い関係のレッスンが必要です。先生と生徒の間に、同じ目的についての合意があって、献身的な態度で向き合わないとできません。今のきんぎょのように、ちまちま空き時間にレッスンをやってるのには向いてません。また、それに適したレッスンカリキュラムと指導方法も要求されます。ですが時間、金額、能力の面でそこまではちょっと厳しい。。。

 

【間違った日本語を覚えている生徒さん】

これはきんぎょ的には問題ありません。間違いが多くても、とにかく日本語を中級前後までやったというのは凄い!えらい!ですので、とにかくきんぎょは褒めます。褒める3:注意する1くらいの比率です。ちなみになぜ問題ないかというと、きんぎょの教え方を彫刻で例えると、生徒さんは粘土をくっつけて形を作っていく(=モデリング)足し算方式で勉強し、先生(きんぎょ)は大理石(=生徒さんが覚えてきたこと)などを削りながら形を作る(=カーヴィング)引き算方式でやっていきます。不要なところはきんぎょが判断して削っていくからです。

 

【間違いを指摘する(=判断して削る)場合】

生徒さんの性格や目的に合わせて、指摘事項に優先順位をつけて、いくつか組み合わせて伝えます。一度に全部は絶対に言いません。優先順位は下記のとおりです。

①すぐ直せるもの、直せないもの

例:「それはいいです。」⇒"It's a good idea." の意味で言ってるので、終助詞の「ね」をつける。中級前後の生徒さんならすぐ直せるので、その都度言ってもOK。それだけで生徒さんが本来言いたい意味に!

例:女(おんな)を「おな」と発音する⇒ちょっと時間がかかる。レッスン中には軽く触れておいて、別途少し時間をとって、本音(ほんね)など、同類のことばと一緒に練習してもいい。「文脈的に理解できるなら、もうそこまで直したくない」という生徒さんもいるので、生徒さんによってはしない場合もあり。

発音記号(IPA)を見て、生徒さんの母語で同じものがあれば、それを参考にしたりもする(きんぎょが知ってる言語限定)。「n」の発音⇒「んな」⇒「おんな」みたいに分けて練習もします。

例:イントネーション(全体の調子)が間違っている⇒時間がかかる。いちいち言わない。朗読など音読の機会が多い生徒さん(先生をしてる等)の場合は、音読の時間を少し取って、復唱してもらう。マネて覚えてもらう。でも指摘はいちいちしない。

②致命的か、そうではないか

例:格助詞の間違い⇒致命的。「私がきんぎょにチョコをあげる」が、「私をきんぎょにチョコがあげる」では伝わりません。格助詞は優先的に指摘します。他の例文もつけて教えます。

例:副助詞の使い方⇒間違いじゃないけど、不自然になる場合は、致命的ではありません。「私はきんぎょです。私は会社員です。私はコーヒーが好きです。私は・・・」ちゃんと通じるから致命的ではない。でもレベルアップするには、「〇〇は」の羅列は避けたい。こんな時は、その都度は言わず、頻度を下げて、より自然な言い方と一緒に伝えます。

【終わりに】

誤解を恐れずに言うと、先生が生徒さんの日本語学習の全責任を負う必要はないと思っています。きんぎょは、生徒さんがやめたいと思ったらやめてもいいし、また勉強したいと思ったらいつでも付き合います。

きんぎょ、小学生の頃に国語の教科書に掲載された、ドナルド・キーン(日本文学研究者)の「名前」に衝撃を受けたことがあります。外国人の名前なのに、横に「訳 〇〇」と書かれてない!他に掲載された文章とは違い、子供向けっぽくない本気の日本語だった記憶があります。

そんなドナルド・キーン先生ですが、会話が決してネイティブのようだったわけではありません。ちょっと文章っぽい、外国語のなまりのある日本語でした。ではそれで氏の功績が曇るかと言ったら、そんなことはありません。日本語を通してしたかったことを十分に成し遂げてこの世を去られました。

日本語を通じて、アニメの推しキャラをもっと深く知りたい、暇つぶしをしたい、仕事をしたい、家族のルーツに触れたいなど、その人の目的達成のお手伝いができたらいいなと思っています。