ある生徒さんがこんなご意見を言ってました。
「日本語の難しいところは、全部書かない、全部言わないところ。そんでもって日本人がそれに無自覚なところ。」
無自覚というのは、批判的に言っているのではなく、意識していない、気がついていないという意味です。
例えば。
日本語の自動詞や他動詞を勉強するときに、生徒さんは『他動詞はヲ格の目的語を持ちます。絶対目的語が要るんやで〜!』と習います。
ところが会話だと、この目的語は出てこないことがよくあるんです。
なぜか?状況的に目的語のものが認識できていたら、言わないからです。(きんぎょの論です。あくまで)
<例>
A:先生、花瓶が割れた〜。 ⇒ 花瓶が割れた
B:おまえが割ったんだろが〜! ⇒ あなたが(花瓶を)割った。
このBの場合、文法的にはヲ格の目的語が必要ですが、言いません。目的語が何かお互いわかっているし、1番大事なのは、花瓶を割ったのは花瓶そのものではなく、おまえじゃ!という情報です。
上記の生徒さんが言う、「無自覚」というのは、この、文法のルール上は必要と言われているのに、それ以上にお互いの無意識の共通認識のほうが強いルールとして働くということを指しています。
ああ、お腹すいた。
夜にレッスンをすると、お腹がすきます。そろそろお風呂に入って寝ます。おやすみなさい!