3連休ですね。嬉しいです、とっても。昨晩はちょっと夜ふかししてから、今朝は遅くまでぐっすり寝ました。頭がスッキリ。のんびりコーヒーを飲んで幸せです。
日本語を学習する生徒さんと接するきんぎょです。学習したい動機は様々です。仕事のため、学校の科目のため、ビザのため。。。中には面白い動機の方もいます。
きんぎょの生徒さんの中に、日本語で書くのが好きで勉強している、という方がいます。この生徒さんの話が非常に興味深かったので、ちょっとメモっときたいと思います。
この生徒さんは、ヨーロッパ言語がいくつかと、アジアだと日本語だけではなく、韓国語や中国語もやってます。外国語大好きなタイプですね。
数ある言語の中で、文章を書いたり読んだりするのが一番楽しいのが日本語なんだそうです。だから日本語の勉強(添削指導)を続けているんだそうな。喋るのはまた別だそうです。
なぜ?なにが?(ΦωΦ)
いわく、陰鬱なものを陰鬱な気持ちのままに書いて成立し、さらにそれに読者がいるのが日本語なんだそうです。
😂
「大正時代や昭和初期の作家たちの個人的な書簡をぜひ読んでください。あの重く暗い感じがいいんです。あの暗さを、少ない文字で感情的に書けるのが日本語です。文字が重いんです。そして、そこに書いてない文字まで読むことができるんです。これは現代の、重いテーマを扱う漫画にも通じると思います。漫画を含む日本語文学には循環があって、今は大正から昭和初期の日本語文学と非常に近しいと思われます。日本語文学は、個人的な陰鬱さを、一部の読者と楽しみ、なおかつ共有できるのです。ソーシャルメディアの発達により、それを瞬時に世界レベルで共有できるようになったのが、古い時代との違いでしょう。」
学者っすか?(ΦωΦ)
確かに漫画なんか、かなり陰鬱系(?)が世界的なヒットを続けていますよね。ちょっと前だとデスノート、ここしばらくなら進撃の巨人とか、鬼滅の刃、呪術廻戦などなど。こういった漫画の魅力も、日本語の性質に大きく支えられていると生徒さんは解説します。
「私の国の言語でも、こういった漫画を翻訳したものを読むことができます。でも、日本語で書いたものにはある、あの「抜けられない陰鬱な感じ」がないんです。暗さや残酷さは出るんですが、陰鬱さがないんです。そして率直にいえば、そういう文学は私の国では好ましいものとはされていません。ですから、日本語文学を好むということには、今でもちょっとした背徳感があります。仕事のためとか、社会的成功のための語学学習とはちょっと違う楽しみですね。」
深すぎてきんぎょ、ついていけませんが、これからもレッスンを続けてくれると嬉しいです(ΦωΦ)