※今日のトピックは高コンテクスト文化
ですが、この内容がほんとに高コンテクスト
文化に由来するのかどうか、学術的な判断は
わかりません。ちょっと言語学をかじって
舞い上がってる見習い日本語教師のタワゴトと
おもってお読みください。
では本題。
「ほんとに ”母です” だけでいいの??」
生徒さんが目をパチクリしながら
質問したのは日本語テキスト「まるごと」の
とある例文でした。
入門A1の「かつどう」を一緒にしていました。
自己紹介や家族の紹介をするページでの質問です。
(だい4か)
生徒さんが言いたかったのは
「こちらは わたしの はは です」なら
納得するが、なんで?なんで?なんで?
「ははです」だけで会話が成立するの???
ということです。
THE☆高コンテクスト文化!!!!!
言語のタイプの分類の一つとして
コンテクスト(文脈)というものがあります。
高コンテクスト文化 か 低コンテクスト文化
かどちらか(もしくはどちらよりか)で分類
します。
超簡単にいえば
・ハッキリ言葉にして全部説明するべし
→低コンテクスト文化
(ドイツ語や英語がこちら)
・「皆まで言わすな!読めよ!」という全部言わない文化
→高コンテクスト文化
(日本語がこの代表格)
生徒さんの母語によっては、日本語はかなり
「奇妙な言語」にうつるそうです。
テキスト「まるごと」は、最初からけっこう
会話っぽい言い方(あまりフォーマルではない)
が多いです。
その生徒さんから「なんで ”母です” だけで、
お母さんを紹介できるの?なんでそれで通じる
の?」とさらに質問が。
間接法でのレッスンですが、それでも言語学的な
説明なんて無理ですので、日本語では、分かりき
っていることはよく省略されることを説明しました。
「あなたが「母です」と言って、女性を紹介した
ら普通はあなたのお母さんだよね?
友達のお母さんじゃなく。」
というと、「そりゃあそうだけど、み、短すぎ(笑)」
と笑ってました。
この生徒さんの母語はヨーロッパ言語で
私のテキストでみればどちらかといえば
高コンテクスト文化寄りの言語となってますが
それでもびっくりするそうです。
「私の母語でなら”何か母的なもの + です”って
言ってるみたいな感じがします」とのこと。
何か母的なもの。。。。???
冠詞や所有格の役割を文脈に依存するって
変な感じだそうです。
「今までいろんな外国語をかじったけど、一番
外国語を勉強してるっていう気がするのは
日本語です、考え方がまるで違う。」と笑ってました。